春が来てしまった
あっという間にもう3月。ぼくは春が昔から一番苦手です。春は一番環境が変化する季節。今はあまり関係ない生活をしているけれど、子供の頃から社会人をやっていた頃まではそんな生活で、いまだにそれをひきずっているのかも。花粉症などもあって、ブルーな気分になる日が多いです。 でも今日みたいな天気のいい日はやはり気持ちが良いものですね。ひなたぼっこをしている猫に添い寝していたら、ささやかな幸せを感じました。
最初はみみと。
その後まめと。
今年に入って2ヶ月、まだ仕事らしい仕事もせず過ぎてしまいましたが、忙しいときにはなかなか出来ないことを、がっつりやってみたりして、それはそれで貴重な時間だなと改めて思っています。
どうでもいいことですが、今年に入って体脂肪率が5%も落ちました。ウエストも4㎝ほど縮んだ。蓄えていた内臓脂肪をスッキリ落として、健康体を取り返しました。もう少し落としたい。これまたどうでもいいことですが、この数日で5回いろんなものに足をぶつけてつまづきました。うち1回は結構なつまづき方をして、左足の親指の爪が半分剥がれました。まだジンジンします。暖かくなってきてさらにボーッとしてしまいそうなので、いつも以上に気を引き締めていきましょう。
予期せぬ訪問者
今日は起きてからずっと不安定で、どうしたことだろうと思っていたのだけれど、どうやら「あの人」がぼくを訪ねてきているらしい雰囲気がある。もう15年近く前に自分からあっちの世界に行ってしまった人だから訪ねてきたも何もないのだけれど、今日はずいぶんとあの人を近くに感じる。仕方ないから一日中一緒にいることにした。
救ってあげられなくてごめんなさい、とか、たくさん傷つけてしまってごめんなさい、とか、今でも思ってしまうけど、それが思い上がった考え方だってことももちろん分かっている。でもあのときぼくは、あなたが深く傷ついたことに気付いたのに、呼び止めたぼくを突き飛ばしたあなたに腹が立ってしまって、そのまま見捨ててしまった。あのあとみんなのところに戻って、ぼくは笑って朝まで大騒ぎした。あんなにも悲しそうな顔をした人をどうしてぼくは放っておけたのだろう。あれから5年ぐらい会わないでいるうちに、どうやっても会えない人になってしまった。あれが最後の記憶。あそこにあったジョナサンはもうなくなって今は本屋になってる。ここ数年あのあたりを通ってないから、また変わってるかもしれないけれど。
「おまえのような人間には俺の気持ちなんかわからない」って言って帰っちゃったこととか、「おまえはかわいそうな人間だ」って言って泣きそうになってたこととか、今でも良く覚えてる。今でもなんとなく腹立たしい。でも、あなたにしては最大限に、たぶん誰よりもぼくに心を開いてくれていたのだと思うから、ぼくはもっとそのことを信じるべきだった。どのみち救えなかったのだとしても、少なくとも、見捨てて見ないふりをするべきではなかった。今でも悔やんでいる。
なんだこの文章って感じではあるけれど、ぼくよりまっすぐにあなたの死を悔やみ、悲しみ、怒っていたあの人が読んでくれたらいいなと思う。あなたが死んだあと、三人で良く行ったバーでささやかな弔いの会を開いたのだけれど、その後連絡が取れなくなってしまった。思い出すのが辛かったんだろうと思う。他にあなたのことを話せる人がいないから、ひさびさに会いたい。
あなたの死を契機にいろんな転機があって、いまこの仕事をやっています。いつも感謝しています。また会いにきてください。いつまでも忘れませんから。ぼくはまだまだこっちの世界でがんばろうと思っています。
太陽がいっぱい
つかこうへいTriple Impact『ロマンス2015』観てきた。
魂は身体に宿る
今日の友人とは、出会ってかれこれ23年。あのころは、将来こんな話で盛り上がることになるとは全く予想していなかった。時の流れに呑み込まれる。
市民の味方
とある要件で警察に行ってきた。昭和の雰囲気を濃く残した、いわゆる「警察署」といった感じのところで、例の制服を着た署員たちが忙しなく駆けずり回ってたこともあって、妙に緊張した。
警察は僕たち市民の生活を守ってくれる存在で、本来ぼくたちの味方であるはずだが、どうにも身構えてしまうのはなぜだろう。守ってもらっている実感よりも、駐禁切られたり職質されたりしたときの、苦い、やるせない記憶が勝っているらしい。そういうこともまた、市民生活を守るためのひとつだということはアタマでは分かっているのだが。
深層心理のどこかで自分に疚しいところがあって、取り締まられることに怯えがあるのだろうか。何にせよ、権力というのは怖ろしいものである。でも今回はいろいろとお世話になりました。