BLue CaFe NeT

by HiRoo iNoue || ACTOR

『背信 | ブルールーム』

the PLAY/GROUND vol.0
『背信 | ブルールーム』

2016/1/7~1/10 @シアター風姿花伝
http://www.playground-creation.com

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ハロルド・ピンター(背信)
デヴィッド・ヘアー(ブルールーム)

翻訳
井上裕朗(背信)
薛珠麗(ブルールーム)

翻訳協力
薛珠麗(背信)
井上裕朗(ブルールーム)

演出
井上裕朗(背信)
薛珠麗(ブルールーム)

出演
森尻斗南
松本みゆき
芦塚諒洋(1/7,9)
井上裕朗(1/10)
坂本なぎ   (以上、背信)

依田玲奈
菅原優
渋谷采郁
石綿大夢
西村順子
西本泰輔
灘波愛
近藤隼
森下まひろ
斉藤直樹   (以上、ブルールームver.A)

えみりーゆうな
山拓
竹下澄夏
西原信裕
柴田和美
谷畑聡
佐々木美奈
井上裕朗
都築香弥子
藤尾姦太郎  (以上、ブルールームver.B)

山脇唯
稲垣干城
五十嵐優
杉森裕樹
北見有理
三嶋義信
佐度那津季
堀雄貴
都築香弥子
井上裕朗   (以上、ブルールームver.C)

スタッフ
美術: 宇野奈津子
照明: 松本大 (松本デザイン室)
照明操作: 中西美樹
衣裳: 小林巨和
ヘアメイクアドバイス: 鎌田直樹
音楽: 後藤浩明
音響: 佐藤こうじ (Sugar Sound)
音響操作: 反町瑞穂
舞台監督: 鳥養友美

ベース演奏【録音】(背信): 藤田奏
ドラム演奏【録音】(背信): 日野晃
サックス演奏【録音】(ブルールーム): 金山徹
ステージング協力(背信): 傳川光留

宣伝美術: 藤尾姦太郎
記録写真: 福島奈津子
企画協力: シアター風姿花伝
企画・製作: PLAY/GROUND Creation
管理人: 井上裕朗


日時
1/7(木) 1200 (ブルールームver.A) /1530 (ブルールームver.B) /1900 (背信)
1/8(金) 1200 (ブルールームver.C) /1530 (ブルールームver.A) /1900 (ブルールームver.B)  
1/9(土) 1100 (背信) /1430 (ブルールームver.C) /1800 (ブルールームver.A) 
1/10(日) 1100 (ブルールームver.B) /1430 (ブルールームver.C) /1745 (背信)【追加公演】


料金(全席自由・1ドリンク付・当日精算のみ)
一般  2500円
U-20 1000円 (20才以下・要ID)

チケット予約





 

『イワーノフ』

利賀演劇人コンクール2015
『イワーノフ』
利賀演劇人コンクール2015にて優秀演出家賞二席・観客賞受賞

2015/7/11 @下北沢亭《プレビュー/リーディング公演》
2015/7/23 @利賀芸術公園 利賀山房《利賀演劇人コンクール2015》


アントン・チェーホフ

脚本・演出

早坂彩トレモロ

出演
尾﨑宇内
金松彩夏文学座
えみりーゆうな
井上裕朗
小寺悠介
椎谷万里江(拘束ピエロ)
箱田暁史(てがみ座)
林ちゑ

スタッフ
舞台美術: 伊藤健太
照明: 松本永
演出助手: 田丸一宏

日時
7/11(土) 1300/1800 《東京:プレビュー/リーディング公演》
7/23(木) 2000 《利賀:利賀演劇人コンクール2015》

料金 《東京:プレビュー公演》
1500円(1ドリンク付)




『東京/NY往復書簡』

T Factory 『東京/NY往復書簡』公開リーディング
「第一章 路上にて on the street」
「第二章 森にて in the forest」

2015/7/4, 7/5 @森下スタジオ Bst
http://www.tfactory.jp/data/tokyo_ny_chapter2.shtml
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T Factoryの川村毅さんと、ニューヨークの劇作家・演出家ジョン・ジェスランさんが、リレー式に戯曲を書き繋ぎ、共同で演出するプロジェクト『東京/NY往復書簡』。今年の2月に発表した第一章「On The Street/路上にて」に続く、第二章「In The Forest/森にて」の翻訳ワークショップおよび公開リーディングに参加します。
この企画が発表された当初から強く興味をもっていて、2月の第一章の公開リーディングには客席で参加しました。その後の展開もずっと追いかけていくつもりでいましたが、今回は俳優として参加できることになりました。嬉しい限りです。
川村さんの作品には、2010年『大市民』、2011年『路上3.11(路上4)』に続き、3度目の参加になります。近年の川村さんの新作はどれも面白くどれも大好きなので、今回の第二章も今から非常に楽しみです。共演陣もいずれも気心知れたメンバーばかりで、彼らとともに今回の作品に取り組めることもまた楽しみです。
今回、客席数の少ないスタジオ(約50席)でのたった2回の公開リーディングですが、ご興味ありましたらぜひ、作品の誕生に立ち会いにいらしてください。2月に発表した「第一章・路上にて」および、今回初披露となる「第二章・森にて」をどちらも読みます。さらに「第二章・森にて」の一部を、日本在住のバイリンガル俳優ボブ・ワーリーとサラ・マクドナルドが英語でリーディングします。同じ戯曲でも日本語と英語ではだいぶ印象が異なるので、その違いも楽しんで頂けると思います。

作・演出
ジョン・ジェスラン/川村毅

出演
田中壮太郎
山崎美貴
井上裕朗
清水さと
ボブ・ワーリー
サラ・マクドナルド

スタッフ
矢野靖人
小松主税

製作: 平井佳子
助成: 公益財団法人セゾン文化財
後援: 公益財団法人国際文化会館
企画・制作: ティーファクトリー

日時
7/4(土) 1500
7/5(日) 1500

会費
1500円(自由席・1ドリンク付)




パワーゲーム

こないだ村上春樹氏の小説を読み返していて、会社勤め時代のことで妙に合点のいく考えに至った。

僕は入社の段階から「おまえみたいなケースは過去に例がない」と言われたほど、僕を採用することへの賛否がぱっかりふたつに分かれた(らしい)。しかも「否」のほうが多勢だった。僕を嫌いな人はどうしようもなく僕を嫌いだった。ひどい言葉を浴びせられたことも何度もあった。リクルーターをしていた先輩が僕をとても気に入ってくれて「すぐ決まるよ」と言われていたのに、会う人会う人が僕を嫌った。先輩は「あれこんなはずじゃなかったのに。ちょっと別の人にも会ってよ」と他の人にも会わせてくれたが、ますます「否」の意見が増えるばかり。結果、数ヶ月にわたり(部署の半数にあたる)50人ぐらいの人と1人1時間ずつの面接をした。それだけの人数に、面と向かってネガティヴな言葉を投げつけられ続けるのは実にしんどい。就職活動というピリピリした状況もあり、心身ともにボロボロになった。それでも中には力強く推してくれる方も少数だがいて、その方々の頑張りのおかげで採用してもらうに至った。採用人数は2人だけだったから、ある意味奇跡のようなことだ。その方々がずいぶんとしぶとく頑張ってくれたのだと思う。今でも心から感謝している。

僕を嫌っていた人は、大抵の人が、人に対してパワーゲームをしかけてくる人だったように思う。マウンティング。僕はそういうのが苦手だからあくまでフラットな態度でいた。彼らが求めるように屈伏することはしなかった。それはプライドとか敬意とかとまったく関係ないことだ。でも、どうやらそういう態度が気に食わなかったらしい。面接途中で出て行った人もいた。エリートが多かったし、完全に体育会系の空気だったので、とにかくそういったタイプの人がたくさんいた。

僕は誰に対してもパワーゲームはしかけないので、後輩からはずいぶんと慕われていた(と思う)。そりゃ、あのジャングルの中では格別接しやすかったのだろうと思う。でもそれを見てMr.パワーゲーマーたちは、今度は僕が何かしらの悪だくみをしていると思ったらしい。「お前、良からぬこと考えてるんじゃねーだろーな?」みたいなことも言われた。ずいぶんと警戒されていたように思うし、そのことでさらにいじめられたりもした。

彼らはきっと、みんながみんな、同じような価値観で生きてると思ったのだろう。勝つか負けるか。上か下か。支配するか支配されるか。支配されない僕は要注意人物。そんなつもりはまるでないのに、明確な服従をしないことで、誤解されることが多かった。敬意をもつこと=服従すること、ではない。表面的にそう見せることは出来たかもしれない。でも僕はどれだけしんどくてもそこは曲げなかった。

最終的にそのうちの何割かは、時間が過ぎる中でその「誤解」に気付いたのか、別の意味で良いところを見つけてくれたのか、僕のことを認めてくれるようになってくれた。ずいぶんと時間はかかったけれど、僕は改めて、そういうゲームは(僕には)必要ないと確信した。僕のやり方じゃない。

今後も僕は、そういうゲームはしたくないと思う。同じようなことがあっても、時間が解決してくれるまでしぶとく耐える。そうありたい。その気になれば僕も強そうな気がするけれど、でもきっと途中で心折れちゃうだろうな。




言葉、の、羅列

書かれた文章を読むと、それがたとえ短いものであっても、その人のことがある程度わかってしまうように思える。少なくとも、なんとなくこんな感じの人なんだろうなと予想ができてしまう。

「書く」ことも、「話す」ことも、「考える」ことも、その人の中で生まれた言葉のチョイスとその順列組み合わせであるわけだから、それは当たり前のことなのかもしれない。

好意を寄せている人や気にかかる人が素敵な文章を書いているのを見ると、とても嬉しくなる。やっぱりね、と安心する。そして素敵な文章を書く人は、会ったことがなくても好きになったりする。会ってみたくなる。誰かに「会う」ことと、誰かの書いた文章を「読む」ことは、そう遠くないことかもしれない。


もちろんその逆も然りで、苦手なタイプの人の書く文章はやはり好きになれないし、書いた文章を読んだだけで、自分と合わないだろう人はわかる。実際に会うのと同様、書かれたものを読むだけで何かが蝕まれるような気になる。

「文章を書く」という行為は、自分の存在(の欠片)を写し取るようなものなのだろう。意図した以上に自分をさらけ出してしまうどこか怖ろしい行為。優しい人の書く文章は優しい。独善的な人の書く文章はどこか独善的。僕の書く文章は、ただの言葉の羅列なのに、逃れようもなく僕を表わす。「演じる」こともそれと似ている。


今日は素敵な文章を読みながら眠りにつこう。