BLue CaFe NeT

by HiRoo iNoue || ACTOR

昨日は稽古が休みだったので、敬愛する先輩が出ている芝居を観に行った。いつになく小さな劇場で身近に彼の芝居を観たからか、いつも以上にその凄さに感動し、嫉妬し、打ちのめされた。

ベースとなる身体の揺るぎない存在感としなやかさ。深く深く根を張っているのにそれでいて軽やかだ。そして、その身体から遠くに開かれた意識と呼吸。相手役に対してだけでなく客席へもダイレクトに伝わってくる。

重心が高いとすれば、それは表現ではなく「説明」であり、遠くに放たれないならば、それは表現でなく「自己満足」だ。重心の低い身体から遠くに放たれるものだけが、観ているものに心に届き響く「表現」だということを再認識する。

そしてその上で、限りなく連続で、限りなく一定の速度の時間を舞台上で体感していることが凄い。体感時間の目が粗ければ意識は持続されず感情は蓄積されない。体感時間の速度の変化は演技を心理的で説明的なものにする。時間の流れを操ることは役者にとって安易な逃げ道だ。演劇的存在である実感がある分、余計にその誘惑は甘い。その罠から抜け出すためには、それに耐えうるだけの意識の開放と集中力と揺るぎないイメージが必要なのだ。

先輩の姿はまだ遠い。でも、そこへと続く道がようやく見えてきた。あとは必死で走ってその姿を捉えるしかない。