BLue CaFe NeT

by HiRoo iNoue || ACTOR

父が旅立ちました

2月3日午前4時25分、父が亡くなった。享年78歳。僕はこれまでの46年の人生のうち、父と40年ぐらい同じ家で暮らしたことになる。亡くなって1週間以上が経つけれど、まだ父の不在にうまく慣れない。

昨年の4月、父が突然、普通でない息苦しさを訴えたので、急いで病院に連れて行った。かなり進行した肺ガンの疑いがあるとの診断。精密検査を受けることになった。検査結果は父と僕のふたりで聞きにいった。僕は最悪の結果を覚悟していたが、父は何かの間違いであろうと思っていたらしい。結果は肺ガンのステージ4。リンパや骨への転移も見られる。病状や年齢を考えると手術は難しい。このままでいくともって秋ぐらいまでだろうというものだった。父は驚いたような困ったような顔をして、苦笑いを浮かべながら「いやあ、まいったなあ」とつぶやいていた。

父は僕と似た体型をしていてとても細かったのだけれど、でも体力はあって、年齢の割にはずいぶんと若かったし、基本的に元気な人だった。その時点ではまだ仕事を続けていて、朝早く起きて遠くまで出かけていた。DIYとか庭仕事が好きな人だったから、うちにいるときも何かしら動いていたし、仲間たちとゴルフにでかけることが何よりの楽しみだった。だから余計に、突然の余命宣告はビックリしたことと思う。僕たち家族ももちろん驚いた。

父は兄弟たちを同じくガンで亡くしていて、それを見ていたこともあり、とにかく抗がん剤治療を嫌がった。病院には入院したくない。自宅で過ごしたい。そして自宅で死にたい。それが父の強い願いだった。僕たち家族もそれを受け入れた。治療をすることなく、ただ病状が進むのを受け入れるというのはなかなかにハードなことではあったけれど、医者の予想に反して、父の病気はなかなか進行せず、秋が終わるころまではほんとに末期ガンであることを忘れてしまうほど、普通に、元気に、日々を過ごしていた。

昨年の暮れあたりから、リンパに転移した腫瘍が大きくなってきた。少しずつ痛みを感じたり、息苦しさもあったようだ。それでもまだ自力で、元気に過ごしていた。年末年始には遠くから親戚たちが集まって(僕は稽古があったのであんまり一緒には過ごせなかったが)みんなで食事したり談笑したりしていたらしい。1月半ばまではそんなに変わっているように見えなかった。それがある日突然、急激に悪化しはじめた。痛みが強くなりそれを抑えるための薬を使うようになった。息苦しさが増して酸素吸入をする時間が増えた。「せん妄」という軽い痴呆のような症状も見られ、それまで普通にやっていたことが普通にできなくなっていった。でも僕はちょうどそのころ舞台の本番直前〜本番中だったから、そんなにも父が変わり始めていることにはっきりとは気づけなかった。舞台の本番が終わり、僕は3日ほど倒れた。父のことも気がかりだったけれど、僕自身が動けない状態だった。ようやく落ち着いて父と向かい合ってみると、そこにはずいぶんと変わってしまった父がいた。

そこから約10日間。父がひとりでやれることがだんだん減っていき、うまくコミュニケーションが取れなくなっていき、誰かがずっと傍にいなければならないというときに、僕はずっと父の傍にいることができた。これまでの46年間、親不孝ばかりしてきた僕が、最後の最後に、せめてもの親孝行をすることができた。昨年の8月ぐらいからこないだの舞台の千秋楽まで、舞台が続いてずっと忙しかったから、その期間中にもし父が倒れたとしたら、傍にいられないどころか、死に目にも会えない、葬儀にも立ち会えないという可能性も大だった。でも父は僕の千秋楽を見計らうかのように弱っていき、僕に最後の親孝行をするチャンスをくれた。僕と父は性格とか価値観とかまるで違いすぎて、大人になってからは、嫌いじゃないけど仲が良いわけではない、微妙な親子関係だったと思う。でも弱っていく父と一緒にいる中で、僕は子供のころ、父が大好きだったことを思い出した。こんなにも父を愛していたんだ、という気づきはかなりの衝撃で、まるでそれまで蓋をしていたかのように、父への愛情が溢れ出してくることに僕自身が驚いた。

78歳というのは正直まだ早いだろう、というのはもちろんあるけれど、父はおそらく、理想通りの死に方をした。余命宣告から10ヶ月、死への準備をする時間があった。発見が手遅れだったことで、逆に手術や苦しい治療をすることなく、一日も入院をすることなく、死ぬ直前まで自宅で普段通りの生活を送った。12月にはゴルフにも行った。そして、のたうちまわるような激しい痛みに苦しむこともなく、家族全員に囲まれながら静かに穏やかにすーっと命を終えた。自宅での葬儀にも関わらずたくさんの人が駆けつけてくれて、たくさんの人が見送られながら、愛した自宅から旅立って行った。亡くなってから葬儀まで、4日間父は自宅で眠っていたのだけれど、その死に顔は本当にきれいなままで、冷たくなっていなければただ眠っているだけみたいだった。父の不在は確かに寂しいけれど、あんなに完璧な死に方をしていった父のことを、僕はなんだかうらやましく思えて、涙が止まらない瞬間があるのと同時に、なんだかニコニコしてしまう瞬間もあったりする。

たくさんの人が、父の生前のことを涙ながらに語ってくれた。嗚咽を漏らしてくれた人もいた。僕の知らない父の姿を知るたびに、また父が好きになり、父のために流してくれる涙が、僕自身ですら気づけていなかった深い悲しみに気づかせてくれた。最後に父と濃密な時間を過ごし、せめてもの親孝行ができ、父をこんなにも愛していたことに気づけた僕自身は、とても幸せ者なのだと思う。父が僕に与えてくれた最後の贈り物なのだろう。 ずっと手のかかる息子で休まらない人生だっただろうに、最後までありがとう。

僕もあんなふうに死んでいけるように、一生懸命に生きようと思う。どこかで見ていてください。


遺品整理をしていて出て来た若かりし頃の父。しゅっとしたいい顔してる。父に似てるという人もいるけれど、この写真を見る限り、あんまり似てない気がする。

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