酔夢譚/雲隠れした月に叫ぶ
「革命」
嫌でも様々なイメージを想起させる「手垢にまみれた」言葉ではあるが、それを承知で敢えて使う。
僕は、本質的に「革命家」の性をもっていると思う。
常々「システム」について考える。人は誰しも、何かしらの「システム」に組み込まれその呪縛から逃れることは出来ない。その呪縛は無意識で無自覚なものであり、パーフェクトな意味での自由や衝動なんてあり得ない。
「システム」によって制御された時空の中で、精一杯、「自由」で「個人」で「動物」でいようとしているだけだ。
だから、現状生み出されている「結果」に対して切実に、抜本的な改革を望むなら、それを生み出す「システム」から抜け出して、取って変わる新たな「システム」を生み出さなければならない。
既存の「システム」の中で、表面的に種々の修正を加えても、その意図とはおかまいなしに「結果」はそこからそう遠くない場所に収束される。
何より大切なのは「システム」なのだ。
自ら無自覚に既存の「システム」に組み込まれている以上、その作業は自己認識・自己解体を経ての再生を必要とするため、苦しく困難に満ちた作業であろうし、何より、生贄として激しい争いと混乱を要求するだろう。
それでもなお、「革命」を起こすべきであると考える。直面する現実に対しての疑問が切実なものであり、取って代わる理想を切実に求めるならば。
「革命家」は確信犯なのだ。
歴史の遺物か?ロマンティシズムの極致か?
どうあれ僕は「革命家」になる準備は出来ている。この人生にその時が来ないことを祈るけれど。