BLue CaFe NeT

by HiRoo iNoue || ACTOR

『父が燃えない』

箱庭円舞曲 第二十六楽章
『父が燃えない』

2018/9/26〜9/30 @浅草九劇
http://hakoniwa-e.com/26_chichi/

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現代、会津若松市の火葬場、待合室。市営の火葬場は市街地から離れた辺鄙な場所にあり、訪れる人が居なければ職員も出てこない。よく言えば静謐な空間である。人の出す音よりも、虫や風の音の方が姦しい。

遺体が燃え尽きるのを待つ人々は、故人の思い出を問わず語りに語り合う。一体どんな人間だったのか、何をして、何をしなかったのか。父母や親族との関係、友人との交流、家族との珍事。故人がどういう人間だったかを、それぞれが勝手に語り尽くす。語っても語っても出てくる、出てくる、また戻る、同じ話が繰り返される、捉え方が人によって微妙に違っている、でも答えは分からない、故人しか分からない。同じとき、同じ場所で、同じ時空を共有していたはずなのに。あの人はあの日、何を考えていたんだろう。

遺された私たちには、想像することしかできない。


原作・脚本・演出
古川貴義

出演
白勢未生(箱庭円舞曲)

相馬圭祐
林和義(VAICE★)
小暮智美青年座
安川まり
片桐はづき
井上裕朗(DULL-COLORED POP)
小山貴司
秋本雄基(アナログスイッチ)

古川貴義(箱庭円舞曲)

スタッフ
舞台美術: 稲田美智子
照明: 南香織(LICHT-ER)
音響: 岡田悠
舞台監督: 鳥養友美
衣装: 中西瑞美
音楽: 百瀬悠介
記録写真: 鏡田伸幸
制作: 松本悠(青春事情)
企画制作; 箱庭円舞曲
助成: 芸術文化振興基金

日時(全8回)2018/9/2 発売開始
9/26(水) 1930
9/27(木) 1400/1930
9/28(金) 1930
9/29(土) 1400/1900
9/30(日) 1300/1700
※開場は開演の30分前、受付開始は開演の45分前

料金(整理番号付自由席・予約時に整理番号が振られ整理番号順に入場するシステムです)
前売 4000円/当日 4500円

チケット予約(井上裕朗扱い)
https://www.quartet-online.net/ticket/26?m=0hajbje






「遅筆」問題について思うこと

いま巷では、小劇場界の「遅筆」問題について盛り上がっている。「公演中止」という、誰も得をしない、誰もが痛む、苦しい決断を下さざるを得なかった団体が続いた。外野から一方的にそれを非難したり批判したりすることは僕のすることではない。けれども、日常的にあちらこちらで起こっていて誰もを悩ますこの問題について語り合うことが、これを機会に「解禁」されるといいなあと思う。

僕は作家ではない。作家にはなれない。きっと絶対に書けない。ゼロから「世界」を立ち上げることの大変さは想像を超えるところにあり、その才能はただただ尊敬に値する。ひとつのセリフを書くことにかける時間の膨大さ、その産みの苦しみがどれほどのものか、いくら想像をしても、作家ではない僕に理解することは不可能だろう。それは揺るぎようのない事実で、いつでも僕は作家への敬意を忘れていない。

ただそのことと、「遅筆」を受け入れる、または許す、こととは問題の本質が違う。日本の小劇場の現場では、多くの場合、作家と演出家をひとりが兼ねている。作家としての仕事が終わらない限り、本当の意味で、その人は演出家になれない。書くための時間を確保するために、稽古が中止になることも少なくない。連絡がつかなくなったりもする。そして俳優は、格闘すべき戯曲がない(足りない)状態で、稽古も思うように進まないまま、ただ「書き上がる」のを待つという時間を何日も過ごすことになる。書きあがった部分に関しては稽古ができるだろうという意見もある。でも本来、俳優の仕事の第一歩は、戯曲全体を俯瞰し、物語や自分の演じるキャラクターを分析し理解し、その上で「演じる」ための準備を進めていくべきものだ。セリフを覚えれば演じられる、というものではない。作家(つまりは演出家)の頭の中には全体の世界ができているのかもしれない。でも俳優はそれを知らない。不均衡甚だしい状態のまま、不健全な稽古が進んでいく。そして、経験上遅筆の作家に多いことだけれど、書きあがって「演出家」になった途端、急に気が大きくなるのか、「俳優」に対してはとても厳しくなったりする。「俳優」が役を作っていくために費やす「時間」を許さない。自分にはその「時間」を制限を超えて許すのに、「俳優」にはそれを許さない。これは「俳優」という仕事に対するリスペクトの欠如であり、そして何より、作品全体のクオリティを著しく落としてしまう結果に繋がる。

我らが大将、谷賢一が「誰も本気で怒らないからいけない」というようなことを書いていた。それは違う。少なくない俳優は「本気で」怒っている。「本気で」困っている。昨日の、俳優の集う「遊び場」においても、この問題について話題が出て、白熱した議論になった。舞台に立ち、観客の前で責任を取るのは「俳優」なのだ。その俳優が、怒ったり困ったり不安に思ったり、しないわけがない。ただ、本が遅れている作家というのは大抵の場合精神的に多かれ少なかれやられているから、そのとき怒ったって、せっついたって、それは本が早く仕上がる方向に進むどころか、逆効果になることが多い。そのことを俳優は「知って」いるから、表面上は怒ったり意見をしたりするのではなく、腫れ物に触るように気を遣い、願うような気持ちで、祈るような気持ちで、「明日は何ページ出てくるかな」「いつ書き上がるかな」と、ただただ不安で寄る辺ない日々を過ごしているだけのことなのだ。作品のために、気にしていないフリをして、現場の空気が悪くならないようにして、精一杯我慢しているだけなのだ。そしてこの問題について俳優が怒ったり意見を述べたりすると「ああ、あいつは面倒くさいやつだ」と敬遠されがちだったりもする。俳優はそのことに怯えてもいる。作品のために闘う俳優と、面倒なことには触れないイエスマンと、結果どちらが作品に貢献するか。俳優とは、本質とはまったく離れたところで、実に辛い職業なのである。


この問題をどうやったら解決できるのかわからない。作家自身の認識、自己管理、スケジュール管理などもあるだろう。でもそういう個人の問題に止まらない、根深い問題のようにも思える。

ひとつは日本における異常なまでの「新作」主義。出たての若手作家ならいざしらず、熟練の成熟した作家が一年に何本も新しい物語を生み出せるとも思えない。そしておそらくは、作家のギャランティの低さがもうひとつ。一本書いても大したお金にならない。だったらたくさん書くしかない。または他の仕事(例えば演出とか)を入れるしかない。執筆にかけられる時間も、稽古にかけられる時間も、必然的に短くなる。作家・演出家・劇団主宰(プロデューサー)などをひとりで兼ねていて、執筆に集中できない人も多かったりするだろう。

ただ作家を責めるでなく、逆にこの問題について「仕方なし」と見過ごすのではなく、少しでもこの問題を解決していき、作品のクオリティを上げて、演劇界が今よりもエネルギーを高められるよう、変わっていけたらと個人的には願う。俳優が怒ったって、意見を述べたって、それは俳優のわがままではなく、ただただ「良い作品を作りたい」という思いでしかないことをわかってもらいたい。そしてこういう議論が活発に行われる世界になると嬉しい。「良い作品を作りたい」だけなのに、どこにも行けなくて俳優は苦しんでいる。無力であることに絶望している。先日とある公演を降板した友人のコメントを読んでいて、他人事ながら苦しくて仕方なかった。その決断に至るまでの彼女の格闘と、絶対に避けたかったであろうその決断を下した勇気を、僕は心から支持する。僕は僕で、自分の関わる小さな世界の中で、僕なりに出来ることを見つけてやっていきたい。僕たち俳優に何かやれることがあるならば、どんな俳優でもその労力を惜しまないだろう。


最後になるけれど、我らが谷賢一は、彼も自ら述べていた通り、こないだの作品の仕上がりは遅くなかったし、出来上がった作品は素晴らしいものであったし、彼自身がこの問題と向き合って格闘しているのがわかるので不満はない。そこに信頼がなければ劇団に入らない。また、僕が最近コンスタントにご一緒させて頂いている、serial number(風琴工房)の詩森ろばさんはあれだけの多作にも関わらず、基本的に稽古初日には最後まで書き上がっているし、T Factoryの川村毅さんは、稽古が始まる数週間前には台本が届いている。本当に素晴らしい。稽古をしながら書くことを前提に、稽古期間を最初から長く取っている団体もある。「再演」という形で作品を生まれ変わらせて大成功しているイキウメのような団体もある。解決できない問題ではないはずだ。

いちいち断りを入れなかったけれども、俳優すべてがこのように思っているわけではないだろうし、僕のまわりだけなのかもしれない。きっといろんな意見や考えがあるだろう。問題があれば、「俳優」という主語をすべて「僕」に変えてもらいたい。そして本来ならば、こんな内容の意見を、舞台を楽しみに観て下さっている方々や、いつか観てみたいと思っている方々の目に触れさせたくはない。でも、面白い作品を作るための格闘の一端として、期待を込めて見てもらえたら幸いだ。





『1961年:夜に昇る太陽』

DULL-COLORED POP 第18回本公演/福島三部作・第1部先行上演
『1961年:夜に昇る太陽』

2018/7/7〜7/8 @いわきアリオス小劇場(福島)
2018/7/21〜8/5 @こまばアゴラ劇場(東京)
http://www.dcpop.org/category/next/

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60年安保も下火となり、国中が岩戸景気東京五輪など希望の声に沸いていた1961年。東京の大学に通っている<孝>は、故郷であるF県F町へ帰ろうとしていた。「もう町へは帰らない」と告げるために。
電車の中で孝は謎の<先生>と出会う。「日本はこれからどんどん良くなる」、そう語る先生の言葉に孝は共感するが、家族は誰も孝の考えを理解してくれない。
そんな中、孝たち一家の知らぬ背景でF町には一つの大きなうねりが押し寄せていた。「原発を誘致すれば仙台のような──いや、東京のような都会になれる」。そこには経済発展を望む町と、エネルギー政策の主導権を奪い合う国と東京電力、そして冷戦構造下で原子力の傘の下に日本を引き込もうとするアメリカの意思までもが入り混じっていた。
これはF町の住民たちが、原発誘致を決定するまでの数日間を描いた物語である。

作・演出
谷賢一

出演
東谷英人
大原研二
塚越健一
百花亜希(以上DULL-COLORED POP)

古屋隆太青年団
井上裕朗

内田倭史
大内彩加
丸山夏歩
宮地洸成

スタッフ
舞台監督: 藤田有紀彦/松谷香穂
照明: 阿部将之(LICHT-ER)
音響: 佐藤こうじ(Sugar Sound)
制作: 小野塚央
提携: (有)アゴラ企画/こまばアゴラ劇場 助成: アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)/芸術文化振興基金/公益財団法人セゾン文化財

日時
【福島】いわきアリオス小劇場)
7/7(土) 1830
7/8(日) 1400

【東京】こまばアゴラ劇場
7/21(土) 1900
7/22(日) 1500
7/23(月) 1900
7/24(火) 1900
7/25(水) 1400/1900
7/26(木) 1900
7/27(金) 休演
7/28(土) 1300/1800
7/29(日) 1300/1800
7/30(月) 1900
7/31(火) 1400/1900
8/1(水) 1900
8/2(木) 1400/1900
8/3(金) 休演
8/4(土) 1300/1800
8/5(日) 1100(追加公演)/1500

料金
【福島】(全席指定席)
一般 3000円
高校生以下 1000円
【東京】(整理番号付自由席)
一般前売 3700円
学生券 3300円

予約フォーム(井上扱い)
https://ticket.corich.jp/apply/92198/105/






『WHEREABOUTS』

ピウス企画
『WHEREABOUTS』

2018/3/28~4/1 @萬劇場

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仕事も恋人もできず悶々と東京生活を送っているフリーライターの木津は、故郷の街で十数年ぶりに幼馴染の黒瀬に再会する。 辺り一帯を仕切る指定暴力団の下部組織・竹本組の黒瀬に取材しにやってきた木津だが、金も人もない竹本組から出てくるのは辛気臭い話ばかり。 そんなある日、竹本組馴染みの店の女将が理不尽な嫌がらせを受けたことに黒瀬の舎弟がキレて暴れ、竹本組はより街から排除されていく。黒瀬は舎弟をかばうが、次第に組の者との溝が明らかになり… どこにも居場所がない、それでもなけなしのプライドにかける男たちがもつれあって辿り着く先は。 本当に強いのは、正しいのは、誰?


作・演出
今城文恵 (浮世企画)

出演 <シングルキャスト>
増田裕生
結城洋平
田中しげ美
井上裕朗
伊藤えみ
石村みか
鈴木歩
板倉武志 (犬と串)
萩尾圭志

前田悟

篠原功 (演劇集団SINK)   ※体調不良により降板
田中嘉治郎

和興

出演 ダブルキャスト
船戸慎士(Studio Life…Aチーム
山口篤司 …Bチーム

日時(全席自由席・予約番号順入場)
3/28(水) 1900…Aチーム
3/29(木) 1300…Aチーム/1900…Bチーム
3/30(金) 1300…Bチーム
3/31(土) 1300…Aチーム/1800…Bチーム
4/1(日) 1200…Aチーム/1600…Bチーム
※会場は開演の30分前です。
 
料金
一般4500円
学生3800円





父が旅立ちました

2月3日午前4時25分、父が亡くなった。享年78歳。僕はこれまでの46年の人生のうち、父と40年ぐらい同じ家で暮らしたことになる。亡くなって1週間以上が経つけれど、まだ父の不在にうまく慣れない。

昨年の4月、父が突然、普通でない息苦しさを訴えたので、急いで病院に連れて行った。かなり進行した肺ガンの疑いがあるとの診断。精密検査を受けることになった。検査結果は父と僕のふたりで聞きにいった。僕は最悪の結果を覚悟していたが、父は何かの間違いであろうと思っていたらしい。結果は肺ガンのステージ4。リンパや骨への転移も見られる。病状や年齢を考えると手術は難しい。このままでいくともって秋ぐらいまでだろうというものだった。父は驚いたような困ったような顔をして、苦笑いを浮かべながら「いやあ、まいったなあ」とつぶやいていた。

父は僕と似た体型をしていてとても細かったのだけれど、でも体力はあって、年齢の割にはずいぶんと若かったし、基本的に元気な人だった。その時点ではまだ仕事を続けていて、朝早く起きて遠くまで出かけていた。DIYとか庭仕事が好きな人だったから、うちにいるときも何かしら動いていたし、仲間たちとゴルフにでかけることが何よりの楽しみだった。だから余計に、突然の余命宣告はビックリしたことと思う。僕たち家族ももちろん驚いた。

父は兄弟たちを同じくガンで亡くしていて、それを見ていたこともあり、とにかく抗がん剤治療を嫌がった。病院には入院したくない。自宅で過ごしたい。そして自宅で死にたい。それが父の強い願いだった。僕たち家族もそれを受け入れた。治療をすることなく、ただ病状が進むのを受け入れるというのはなかなかにハードなことではあったけれど、医者の予想に反して、父の病気はなかなか進行せず、秋が終わるころまではほんとに末期ガンであることを忘れてしまうほど、普通に、元気に、日々を過ごしていた。

昨年の暮れあたりから、リンパに転移した腫瘍が大きくなってきた。少しずつ痛みを感じたり、息苦しさもあったようだ。それでもまだ自力で、元気に過ごしていた。年末年始には遠くから親戚たちが集まって(僕は稽古があったのであんまり一緒には過ごせなかったが)みんなで食事したり談笑したりしていたらしい。1月半ばまではそんなに変わっているように見えなかった。それがある日突然、急激に悪化しはじめた。痛みが強くなりそれを抑えるための薬を使うようになった。息苦しさが増して酸素吸入をする時間が増えた。「せん妄」という軽い痴呆のような症状も見られ、それまで普通にやっていたことが普通にできなくなっていった。でも僕はちょうどそのころ舞台の本番直前〜本番中だったから、そんなにも父が変わり始めていることにはっきりとは気づけなかった。舞台の本番が終わり、僕は3日ほど倒れた。父のことも気がかりだったけれど、僕自身が動けない状態だった。ようやく落ち着いて父と向かい合ってみると、そこにはずいぶんと変わってしまった父がいた。

そこから約10日間。父がひとりでやれることがだんだん減っていき、うまくコミュニケーションが取れなくなっていき、誰かがずっと傍にいなければならないというときに、僕はずっと父の傍にいることができた。これまでの46年間、親不孝ばかりしてきた僕が、最後の最後に、せめてもの親孝行をすることができた。昨年の8月ぐらいからこないだの舞台の千秋楽まで、舞台が続いてずっと忙しかったから、その期間中にもし父が倒れたとしたら、傍にいられないどころか、死に目にも会えない、葬儀にも立ち会えないという可能性も大だった。でも父は僕の千秋楽を見計らうかのように弱っていき、僕に最後の親孝行をするチャンスをくれた。僕と父は性格とか価値観とかまるで違いすぎて、大人になってからは、嫌いじゃないけど仲が良いわけではない、微妙な親子関係だったと思う。でも弱っていく父と一緒にいる中で、僕は子供のころ、父が大好きだったことを思い出した。こんなにも父を愛していたんだ、という気づきはかなりの衝撃で、まるでそれまで蓋をしていたかのように、父への愛情が溢れ出してくることに僕自身が驚いた。

78歳というのは正直まだ早いだろう、というのはもちろんあるけれど、父はおそらく、理想通りの死に方をした。余命宣告から10ヶ月、死への準備をする時間があった。発見が手遅れだったことで、逆に手術や苦しい治療をすることなく、一日も入院をすることなく、死ぬ直前まで自宅で普段通りの生活を送った。12月にはゴルフにも行った。そして、のたうちまわるような激しい痛みに苦しむこともなく、家族全員に囲まれながら静かに穏やかにすーっと命を終えた。自宅での葬儀にも関わらずたくさんの人が駆けつけてくれて、たくさんの人が見送られながら、愛した自宅から旅立って行った。亡くなってから葬儀まで、4日間父は自宅で眠っていたのだけれど、その死に顔は本当にきれいなままで、冷たくなっていなければただ眠っているだけみたいだった。父の不在は確かに寂しいけれど、あんなに完璧な死に方をしていった父のことを、僕はなんだかうらやましく思えて、涙が止まらない瞬間があるのと同時に、なんだかニコニコしてしまう瞬間もあったりする。

たくさんの人が、父の生前のことを涙ながらに語ってくれた。嗚咽を漏らしてくれた人もいた。僕の知らない父の姿を知るたびに、また父が好きになり、父のために流してくれる涙が、僕自身ですら気づけていなかった深い悲しみに気づかせてくれた。最後に父と濃密な時間を過ごし、せめてもの親孝行ができ、父をこんなにも愛していたことに気づけた僕自身は、とても幸せ者なのだと思う。父が僕に与えてくれた最後の贈り物なのだろう。 ずっと手のかかる息子で休まらない人生だっただろうに、最後までありがとう。

僕もあんなふうに死んでいけるように、一生懸命に生きようと思う。どこかで見ていてください。


遺品整理をしていて出て来た若かりし頃の父。しゅっとしたいい顔してる。父に似てるという人もいるけれど、この写真を見る限り、あんまり似てない気がする。

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