BLue CaFe NeT

by HiRoo iNoue || ACTOR

パワーゲーム

こないだ村上春樹氏の小説を読み返していて、会社勤め時代のことで妙に合点のいく考えに至った。

僕は入社の段階から「おまえみたいなケースは過去に例がない」と言われたほど、僕を採用することへの賛否がぱっかりふたつに分かれた(らしい)。しかも「否」のほうが多勢だった。僕を嫌いな人はどうしようもなく僕を嫌いだった。ひどい言葉を浴びせられたことも何度もあった。リクルーターをしていた先輩が僕をとても気に入ってくれて「すぐ決まるよ」と言われていたのに、会う人会う人が僕を嫌った。先輩は「あれこんなはずじゃなかったのに。ちょっと別の人にも会ってよ」と他の人にも会わせてくれたが、ますます「否」の意見が増えるばかり。結果、数ヶ月にわたり(部署の半数にあたる)50人ぐらいの人と1人1時間ずつの面接をした。それだけの人数に、面と向かってネガティヴな言葉を投げつけられ続けるのは実にしんどい。就職活動というピリピリした状況もあり、心身ともにボロボロになった。それでも中には力強く推してくれる方も少数だがいて、その方々の頑張りのおかげで採用してもらうに至った。採用人数は2人だけだったから、ある意味奇跡のようなことだ。その方々がずいぶんとしぶとく頑張ってくれたのだと思う。今でも心から感謝している。

僕を嫌っていた人は、大抵の人が、人に対してパワーゲームをしかけてくる人だったように思う。マウンティング。僕はそういうのが苦手だからあくまでフラットな態度でいた。彼らが求めるように屈伏することはしなかった。それはプライドとか敬意とかとまったく関係ないことだ。でも、どうやらそういう態度が気に食わなかったらしい。面接途中で出て行った人もいた。エリートが多かったし、完全に体育会系の空気だったので、とにかくそういったタイプの人がたくさんいた。

僕は誰に対してもパワーゲームはしかけないので、後輩からはずいぶんと慕われていた(と思う)。そりゃ、あのジャングルの中では格別接しやすかったのだろうと思う。でもそれを見てMr.パワーゲーマーたちは、今度は僕が何かしらの悪だくみをしていると思ったらしい。「お前、良からぬこと考えてるんじゃねーだろーな?」みたいなことも言われた。ずいぶんと警戒されていたように思うし、そのことでさらにいじめられたりもした。

彼らはきっと、みんながみんな、同じような価値観で生きてると思ったのだろう。勝つか負けるか。上か下か。支配するか支配されるか。支配されない僕は要注意人物。そんなつもりはまるでないのに、明確な服従をしないことで、誤解されることが多かった。敬意をもつこと=服従すること、ではない。表面的にそう見せることは出来たかもしれない。でも僕はどれだけしんどくてもそこは曲げなかった。

最終的にそのうちの何割かは、時間が過ぎる中でその「誤解」に気付いたのか、別の意味で良いところを見つけてくれたのか、僕のことを認めてくれるようになってくれた。ずいぶんと時間はかかったけれど、僕は改めて、そういうゲームは(僕には)必要ないと確信した。僕のやり方じゃない。

今後も僕は、そういうゲームはしたくないと思う。同じようなことがあっても、時間が解決してくれるまでしぶとく耐える。そうありたい。その気になれば僕も強そうな気がするけれど、でもきっと途中で心折れちゃうだろうな。




言葉、の、羅列

書かれた文章を読むと、それがたとえ短いものであっても、その人のことがある程度わかってしまうように思える。少なくとも、なんとなくこんな感じの人なんだろうなと予想ができてしまう。

「書く」ことも、「話す」ことも、「考える」ことも、その人の中で生まれた言葉のチョイスとその順列組み合わせであるわけだから、それは当たり前のことなのかもしれない。

好意を寄せている人や気にかかる人が素敵な文章を書いているのを見ると、とても嬉しくなる。やっぱりね、と安心する。そして素敵な文章を書く人は、会ったことがなくても好きになったりする。会ってみたくなる。誰かに「会う」ことと、誰かの書いた文章を「読む」ことは、そう遠くないことかもしれない。


もちろんその逆も然りで、苦手なタイプの人の書く文章はやはり好きになれないし、書いた文章を読んだだけで、自分と合わないだろう人はわかる。実際に会うのと同様、書かれたものを読むだけで何かが蝕まれるような気になる。

「文章を書く」という行為は、自分の存在(の欠片)を写し取るようなものなのだろう。意図した以上に自分をさらけ出してしまうどこか怖ろしい行為。優しい人の書く文章は優しい。独善的な人の書く文章はどこか独善的。僕の書く文章は、ただの言葉の羅列なのに、逃れようもなく僕を表わす。「演じる」こともそれと似ている。


今日は素敵な文章を読みながら眠りにつこう。




『チョウたちの時間』

NHK-FM 青春アドベンチャー
『チョウたちの時間』

2015/4/13~4/17, 4/20〜4/24 @NHK-FM
22:45~23:00 (全10回)
http://www.nhk.or.jp/audio/html_se/se2015008.html


遠い夏。図書館で受験勉強中の新介の前に突然あらわれた少女が、一匹のチョウを手渡して消える。「もしかして、今のこの風景、この瞬間は、永遠にここにあり続けるのかもしれない」そんな考えにとらわれた青春時代を大人になって懐かしく思い出す新介を、時空を異にした別世界から見守る男女がいた。“純粋時間”の海を航行するトボットに搭乗し“敵”と戦いを続けるシンとマヤ。時間に干渉し、人類の進化を阻んできた強大な存在に歪められた歴史を取りもどすため。鍵を握るのは、20世紀前半の原子物理学者たち。ファシズムが広がる世相、夢と狂気の狭間に立つ科学者たちの苦悩、そして時の彼方で繰り広げられる凄絶なバトルを描くSF冒険活劇。

原作
山田正紀

脚色
山本雄史

出演
多田直人
大塚千弘
星智也
古河耕史
小田豊
塩田朋子
辻親八
多根周作
三木敏彦
林次樹
井上裕朗
森大輔
福原冠
斉藤まりえ
黒木璃七

スタッフ
演出: 藤井靖
技術: 吉竹淳樹/西山友幸
音響効果: 米本満
選曲: 黒田賢一




春が来てしまった

あっという間にもう3月。ぼくは春が昔から一番苦手です。春は一番環境が変化する季節。今はあまり関係ない生活をしているけれど、子供の頃から社会人をやっていた頃まではそんな生活で、いまだにそれをひきずっているのかも。花粉症などもあって、ブルーな気分になる日が多いです。 でも今日みたいな天気のいい日はやはり気持ちが良いものですね。ひなたぼっこをしている猫に添い寝していたら、ささやかな幸せを感じました。


最初はみみと。
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その後まめと。
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今年に入って2ヶ月、まだ仕事らしい仕事もせず過ぎてしまいましたが、忙しいときにはなかなか出来ないことを、がっつりやってみたりして、それはそれで貴重な時間だなと改めて思っています。

どうでもいいことですが、今年に入って体脂肪率が5%も落ちました。ウエストも4㎝ほど縮んだ。蓄えていた内臓脂肪をスッキリ落として、健康体を取り返しました。もう少し落としたい。これまたどうでもいいことですが、この数日で5回いろんなものに足をぶつけてつまづきました。うち1回は結構なつまづき方をして、左足の親指の爪が半分剥がれました。まだジンジンします。暖かくなってきてさらにボーッとしてしまいそうなので、いつも以上に気を引き締めていきましょう。





予期せぬ訪問者

今日は起きてからずっと不安定で、どうしたことだろうと思っていたのだけれど、どうやら「あの人」がぼくを訪ねてきているらしい雰囲気がある。もう15年近く前に自分からあっちの世界に行ってしまった人だから訪ねてきたも何もないのだけれど、今日はずいぶんとあの人を近くに感じる。仕方ないから一日中一緒にいることにした。

救ってあげられなくてごめんなさい、とか、たくさん傷つけてしまってごめんなさい、とか、今でも思ってしまうけど、それが思い上がった考え方だってことももちろん分かっている。でもあのときぼくは、あなたが深く傷ついたことに気付いたのに、呼び止めたぼくを突き飛ばしたあなたに腹が立ってしまって、そのまま見捨ててしまった。あのあとみんなのところに戻って、ぼくは笑って朝まで大騒ぎした。あんなにも悲しそうな顔をした人をどうしてぼくは放っておけたのだろう。あれから5年ぐらい会わないでいるうちに、どうやっても会えない人になってしまった。あれが最後の記憶。あそこにあったジョナサンはもうなくなって今は本屋になってる。ここ数年あのあたりを通ってないから、また変わってるかもしれないけれど。

「おまえのような人間には俺の気持ちなんかわからない」って言って帰っちゃったこととか、「おまえはかわいそうな人間だ」って言って泣きそうになってたこととか、今でも良く覚えてる。今でもなんとなく腹立たしい。でも、あなたにしては最大限に、たぶん誰よりもぼくに心を開いてくれていたのだと思うから、ぼくはもっとそのことを信じるべきだった。どのみち救えなかったのだとしても、少なくとも、見捨てて見ないふりをするべきではなかった。今でも悔やんでいる。

なんだこの文章って感じではあるけれど、ぼくよりまっすぐにあなたの死を悔やみ、悲しみ、怒っていたあの人が読んでくれたらいいなと思う。あなたが死んだあと、三人で良く行ったバーでささやかな弔いの会を開いたのだけれど、その後連絡が取れなくなってしまった。思い出すのが辛かったんだろうと思う。他にあなたのことを話せる人がいないから、ひさびさに会いたい。


あなたの死を契機にいろんな転機があって、いまこの仕事をやっています。いつも感謝しています。また会いにきてください。いつまでも忘れませんから。ぼくはまだまだこっちの世界でがんばろうと思っています。